12月8日 成道会の式典が本部インターネット配信に準じて執り行われました。
スクリーンを通して、会長先生のご法話を拝聴させて頂きました。
その中で会長先生は
『大切なのは、生きとし生けるものが皆、如来と同じ智慧と徳分、慈悲を持っているということであります。
私たちは、至らない至らないと言っておりますが、苦しければ苦しいほど、そうした中で慈悲を出さざるを得ない。慈悲心、徳分、智慧、そうしたものをみんなもっている、具えているということが、お釈迦様の悟りであったという事であります。
仏教の極意は何といっても「慈悲」の一語にあるといわれるぐらい、それは大切な大事なもの その慈悲という言葉も悲の一字にあるのです。愛するということは悲しむことなのです。本当に自分の国のこと、家族のこと、それを悲しむこと、そこから人間は変わってきて、世の中をよくしていく力になるということです。
今、ウクライナの問題にいたしましても、人が悲しんでる時に、私たちがその悲しみを心に受けるということでこそ、物事がかわっていく力になります。本当に慈悲が大切です。
また、私たちの日頃の生活は実際は砥石(といし)で磨かれていく。
問題が起こると嫌だと思いがちでありますけれども、それが砥石となって私たち自身を磨いてくださる、そういうことを心がけてまいりますと、つらい、苦しいと思っている、いろいろなことが「おかげさま」という方に転換されます。そこの感謝という気持ちが起こってまいります。
そうした仏さまの智慧、徳相を頂くために私たちは日頃の日常生活の中での苦しみを通して修行させて頂いているのです。』
とご法話(抜粋)下さいました。
また、上田教会長さんより、
信仰を一生懸命して、結果がよければありがたいと思うのは本当の喜びではない。
自分にとって良い結果が出なくなるとがっくりするといったように、結果をみて、
一喜一憂するのではなくて、どんなはからいの中にも、法をみていくことの大切さを
かみしめて下さいました。
成道会を機縁として、元気でいきいきと精進することをあらためてお誓いさせて頂きました。
合掌